継承される 
"播磨造船"のDNA

これからも
日本の海事産業の発展のために

四面を海に囲まれた日本では、古くから海は身近な存在であり、
各地の文化形成や産業・経済の発展に影響を与えてきました。

物流の多くは海上輸送で、それを支える海運業・造船業・舶用工業などの海事産業は、
現在も変わらず日本の主要産業であり、日本の発展にとって重要な役割を果たしています。

JMUアムテックは、海という広大な世界を舞台に、
100年余りの永い期間、船舶をはじめとする ものづくり に携わってきましたが、
これからも、ここ播磨・相生の地において、海事産業の発展に関わり続けていきます。


事業分野

JMUアムテックは、小型船および作業船の建造、鉄鋼構造物の建造、
船舶および作業船の修理・改造、一般商船の居住区およびブロックの製作など、
海に関する分野を中心とした幅広い事業を手掛けています。


設備情報

JMUアムテックは、造船に適した相生湾(兵庫県相生市)に立地しており、
3本の修理用の乾ドックをはじめとする造船・修理設備を保有しています。

最も大きな第3修理ドックは、全長340.0m 幅56.0mで、4基のクレーンを設置。
大型の作業船や商船の修理を行うことが可能です。

また、海洋船台や総組・立体艤装ヤードでは、船舶の一部やそれ以外の鉄鋼構造物も製作しています。


沿革

  • 1907
    創業時代

    日露戦争が終わり、船舶修理関係事業の隆盛が続いている中、
    兵庫県相生村の村長であった唐端清太郎により、造船所が設立されました。
  • 1914
    空前の造船ブーム

    1914年からの空前の造船ブームにより、造船事業の将来性に着目した鈴木商店の金子直吉は、
    相生湾という造船に適した立地条件を持つ播磨造船株式会社を買収。繁忙を極めました。
  • 1947
    不況を乗り越えて

    神戸製鋼所時代を経て、株式会社播磨造船所を新発足。
    世界的な不況で経営困難な状況となりましたが、経営の合理化、能率の増進を図り、
    柔軟な対応に努める一方、工場設備の近代化を一層推進しました。
  • 1990年〜
    継承される『播磨造船』のDNA

    二度に渡る造船不況の後、合併し誕生した石川島播磨重工業相生第一工場の造船部門を継承し、
    株式会社アイ・エイチ・アイ・アムテックが誕生。その後2013年1月に親会社の統合で
    JMUアムテックとなり、播磨造船のDNAを継承し現在に至っています。
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